赤澤真理:シンポジウム「山崎正和とは『何』だったのか?」
「期待されない101人目」になる覚悟──専門と社会をつなぐ山崎塾の教え

私は、山崎先生が主宰された「山崎塾」の塾生の一人です。「『知』の試み研究会」、通称「山崎塾」は2015年から2017年までの2年間で計9回開催されました。山崎塾には政治学、経済学、歴史学、沖縄、臨床心理、教育、児童文化などの幅広い分野から15名の若手研究者が参加し、今日も多くの塾生がこの会場に集まっています。
山崎先生との最初の出会いは、サントリー文化財団の2013年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」の中間報告会でした。私は平安時代の歌合わせの空間演出について発表したのですが、その際に先生から「日本の生活文化の多くは、室町時代に形成されたものですね」とご指摘いただきました。ご著書『装飾とデザイン』(2007年)で、室町時代の人々の感覚と空間との関係性が丁寧に描き出されていますが、先生の室町時代への思いを強く感じた記憶があります。
その後、山崎塾では私の研究テーマである住居史と女性史の関わりに興味を持ってくださり、それが研究の大きな励みになりました。また、私の声が小さいせいか、よく耳をこちらに向けながら「もっと大きく話してください」と促されたことが、くしゃっとした笑顔とともに思い出されます。
山崎塾の最終回で先生からいただいた言葉が今も印象に深く残っています。日本建築は飛鳥から奈良、唐風建築を模倣してきて、和風建築が確立するのは藤原時代だと、私は学部時代の美術史で学びました。藤原時代には寝殿造りが登場し、軒の構造や垂木の長さが変わり、屋根の勾配が緩やかになり、木の床が現れたとされます。ところが、平安前期・貞観期については、その移行期の建築過程が体系的に語られることはほとんどありませんでした。

その住居史における空白地帯をご存じであった先生から「和風建築ができていくプロセスは、どのように理解していますか?」と問われ、胸を突かれました。歴史の過渡期にある本質に敏感に反応され、鋭い問いを投げかけてくださったのですが、言葉の正確さと建築が発生する過程をお話しされる臨場感に驚きました。そこにありありと建築の姿が浮かび上がってくるようで、とても感動したことを覚えています。
山崎塾では「発表のときは、普段よりも口を大きく開ける」「母音を意識して発音する」と、まさに講義やプレゼンにも応用できる話し方の基本や技術までも訓練しました。そして塾生それぞれの専門性を見極め、それを社会に向けてどう発信すべきかまでも、具体的に一緒に先生が考えてくださいました。3分間で研究内容を伝え、隣の人が1分でまとめるという形式で伝える力が徹底的に鍛えられました。財団で役員を務める研究者の先生や書籍の編集者の方も聞いてくださり、研究内容が多角的に磨かれる貴重な機会でした。最後に、先生からいただいた2つの言葉をご紹介します。
1つは、どんなに深く専門研究を掘り下げても、その穴の中に埋没しないでほしいということです。学問の百貨店のように広く、薄く、知識を身につけろということではありません。私はそれぞれの専門研究の内部のディシプリンを尊敬していますから、まずそれに深く沈潜することが不可欠な出発点だと信じます。しかし、専門に没頭しながらも必要なことは自分が従事している研究が知識世界の全体のどの位置にあるのか、ぼんやりとでも自覚しておくことです。
もう1つ、もし機会があれば、一般向けの啓蒙書を1冊は書いてほしいということです。しかし、これをやるには期待されない101人目になる覚悟が必要ということです。およそ自己表現を職業とする場合、世間はいつでも既に存在している人材で十分に満足しているものです。新人は、私のような者がいますが、いかがでしょうと言って、世間に自分を売り込まなければなりません。その際、傲慢や引っ込み思案が通用しないのはもちろんです。これは社会で他人とともに生きる場合、誰もが直面する困難の延長だと言えるでしょう。皆さんが自己に忠実な表現をしながら、同時に、読者という他人への配慮を忘れない努力をすることは、実際に本を書いても書かなくても不可欠な課題です。
「どんなに深く専門研究を掘り下げても、その穴の中に埋没してはいけない」ということ、そして「期待されない101人目」になる覚悟、つまり自らを売り込む勇気が必要であるともおっしゃられました。それは他者への配慮を忘れずに、自己を表現する努力が同時に求められるということです。
今も先生の言葉を胸に塾生同士の交流を続けています。この場をお借りして、山崎正和先生に心より感謝申し上げます。また、塾の活動を支えてくださった財団の皆様、先生方、編集者の方々にも、塾生を代表してお礼を申し上げます。
- 赤澤 真理(大妻女子大学家政学部准教授)
- 1979年生まれ。日本工業大学大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程修了。博士(工学)。専門は日本住居史、住文化史。平安時代の物語や絵画にみる寝殿造と後世の考証史。主な著書に『源氏物語絵にみる近世上流住宅史論』、『御簾の下からこぼれ出る装束―王朝物語絵と女性の空間』、近刊に『伊勢物語 造形表現集成』(共著)がある。2013年文部科学大臣表彰若手科学者賞等を受賞。文壇・論壇での後進育成を目指して山崎正和が立ち上げた「『知』の試み研究会(山崎塾)」に塾生として2015年より参加。
- (※プロフィールは2025年8月28日時点)