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彦谷貴子シンポジウム「山崎正和とは『何』だったのか?」

山崎正和とアメリカ──『コレスポンデンス』と都市の精神

彦谷氏講演画像

私は、アメリカ外交問題評議会との共同プロジェクト『コレスポンデンス』に、2000年から2002年まで、山崎正和先生および田所昌幸先生のアシスタントとして関わらせていただきました。出張をご一緒するなかで、山崎先生からアメリカ社会や知的風土について多くのお話をうかがうことができたことは、研究者としての大きな財産になっています。

その後、2016年から5年間、コロンビア大学で教鞭を執る機会を得ました。ニューヨークで教育と研究に携わるなかで、山崎先生の言葉の意味を理解する場面が幾度もあり、それは次第に輪郭を帯びてくるものでした。

アステイオン』が創刊されたのは、私が大学1年生のときでした。それ以来、アステイオンの世界、そして山崎先生は憧れの存在でした。私の父も山崎先生と同時期の1960年代から70年代にかけてニューヨークに暮らしており、実家の書棚には山崎先生の著作が数多く並んでいました。防衛大学校に着任後、田所先生のご紹介でサントリー文化財団の『コレスポンデンス』に携わり、やがてニューヨーク出張にも同行するようになりました。父には「なぜ君が山崎正和先生と出張をご一緒できるのか」と、不思議がられたことを覚えています。

こうしたご縁のなかで山崎先生と交わした、アメリカに関する3つの印象的なエピソードをご紹介いたします。

第一は、1965年のニューヨーク大停電と、都市の公共性についてです。山崎先生は、停電という非常事態のなかで、普段は利己的に見えるニューヨーカーたちが公共心を発揮し、事故を防ぐために車のヘッドライトを点灯させたことを印象深く語っておられました。私も両親から同様の話を聞いて育っていたため、この話を何度も先生と語り合った記憶があります。

2020年、私がニューヨークでコロナ禍を経験した際にも、市民の間には静かな連帯意識が見られました。見知らぬ他者のために自発的に行動を制限する姿勢や、「ニューヨーカーだからこそ乗り越えられる」という意識に触れたとき、先生が語られていた「都市の公共性」の精神が、今もこの都市に息づいていることを実感しました。

第二は、「意識的にアメリカ人になること」と、「無意識的に日本人であり続けること」をめぐる問いです。戯曲『世阿弥』の上演でアメリカでも高い評価を得ながらも、あえて帰国の道を選ばれた理由については、『このアメリカ』(1967年)で詳しく論じられていますが、その山崎先生に「なぜアメリカに残ることにしなかったのか」と出張中に問われたことがあります。

その質問の背景には、「意識的にアメリカ人にならず、意識的に日本人であり続ける」という選択を先生ご自身がされたご経験があるのではないかと感じています。「アメリカに残っていた場合」について、どのようにお考えになっていたのかを今ならうかがいたかったという思いがあります。

第三は、「日本に関心のない人々」といかに向き合うかという問題です。1960年代当時のアメリカにおいて、日本は「つい最近まで戦争をしていた国」でした。しかし、日本に関心のある人々に限らず、他分野の知識人や舞台関係者と積極的に対話されていた様子が『このアメリカ』でも描かれています。

一人の研究者としてニューヨークに滞在し、日本研究の枠を超えて多様な人々と交流し、さらには舞台のプロデュースにまで携わられた山崎先生の取り組みが、いかに困難で先駆的であったか。その問いは、私がコロンビア大学で日本政治を教えるなかで、履修者の数に悩んだ際にも思い起こされました。分野外の研究者との対話を意識的に重ねるようになったのは、まさに山崎先生からの学びでした。

語る彦谷氏

こうした姿勢は、『コレスポンデンス』というプロジェクトに込められた意義にも通じています。私が関わっていた当時、『コレスポンデンス』は米国外交問題評議会との連携を通じて『フォーリン・アフェアーズ』誌とともに購読者へ届けられる構想が進んでいることを、ダニエル・ベル先生やマーク・リラ先生から直接うかがいました。

基本的にアメリカの視点に立脚している『フォーリン・アフェアーズ』誌と、日本を含む他国の知的視座を含む『コレスポンデンス』を並列的に届けようとした試み。山崎先生が目指されたのは、アメリカ一辺倒ではない視座の提示でした。だからこそ、あえてアメリカの知的ネットワークを活用するという戦略を選ばれたことに、今改めて深い敬意を抱いています。「日本に関心のない人々」に向けて、多様で知的な視点を届けようとした『コレスポンデンス』の先駆的試みとその意義は現在も失われていません。

最後に、ニューヨークという都市について触れておきたいと思います。初めて山崎先生とご一緒した出張では、朝に到着し、その夜には演劇『プルーフ』を観劇し、時差ぼけのなかで議論を交わしました。深夜にもかかわらず、山崎先生が大きなステーキを実に美味しそうに召し上がっていた姿は、今も鮮明に記憶に残っています。アートとアカデミズムが共存する都市ニューヨークの魅力を象徴する一日を心から楽しまれていた山崎先生とご一緒できたことに、あらためて深く感謝申し上げます。

彦谷 貴子(東京大学グローバル教育センター教授)
1967年生まれ。慶應義塾大学助手、防衛大学校准教授、コロンビア大学准教授、学習院大学教授を経て現職。コロンビア大学よりPh.D取得。専門は日本の政治・外交・安全保障政策および政軍関係。主な論文に"Trump's Gift to Japan: Time for Tokyo to Invest in the Liberal Order,"(Foreign Affairs, September/October 2017)、「トランプ外交と向き合う日本外交」(『国際問題』2020年9月号)など。英文雑誌Correspondenceの編集に携わり、山崎正和のアメリカでのアシスタントとして活躍。
(※プロフィールは2025年8月28日時点)