福嶋亮大:シンポジウム「山崎正和とは『何』だったのか?」
満洲・戦後・消費社会──切実さのなかの社交と美学

私は『中央公論』誌の対談企画で、晩年の山崎正和先生とお話しする機会がございました。実際に対話して感じたのは、先生の思考が非常に背筋の伸びたものであり、姿勢の良い言葉によって立ち上がってくるという印象でした。少し会話をしただけでも、妥協や気の緩みとは無縁の方であることがよく分かりました。
ただし、それは「お堅い」ということでは決してありません。三浦雅士先生と鷲田清一先生も感情について言及されましたが、「感情」を一文字変えると「感性」になります。この「感性」というのが、山崎先生にとって非常に重要な概念だったと考えております。
先生は京都大学で美学を学ばれていましたが、美学(エステティックス)とは本来「感性の学」であり、ギリシア語の「アイステーシス」に由来するものです。理性と比べると曖昧で移ろいやすく、「昨日良いと感じたものが、今日はそう思えない」といったことも起こります。このように感性には一定の「ゆらぎ」が含まれていますが、その不安定さをむしろ肯定的に山崎先生は捉えておられました。
たとえば『柔らかい個人主義の誕生』(1984年)では、消費社会の美学を論じられましたが、ここでの美学とは、アートに閉じ込められた感性ではなく、日常のなかで柔らかく変化しながらも好奇心を持ち、多様な問題に触れていくものです。消費社会に漂う感性の脆さも受け止めながらも、それを前向きに捉える社会論を展開されていきます。
山崎先生の日本の捉え方は、歴史学的な視点とはまったく異なります。近代化を論じる場合、一般的には明治や江戸を起点に語られることが多いのですが、そこからさらに遡って室町や桃山時代に注目しておられました。あくまで美学的な視点――つまり固定された「日本像」ではなく、さまざまな可能性に開かれた日本を見ておられました。つまり、唯一の現実としての日本ではなく、「こうであったかもしれない」という多様な可能性を含んだ日本の姿を見ようとしておられたのだと思います。その「ゆらぎ」や「緩やかさ」こそが、山崎先生の視点の面白さであると思っています。
また「社交」や「美学」といった言葉は、サロン的で優雅な印象を一般的には持たれがちです。しかし、三浦先生もご指摘のように、実はその背景には非常に切実な問題意識、そこにはヒリヒリとした感覚が伴っている。切実なリアリティがあるということです。

山崎先生は満洲で育ち、終戦を迎えた後には過酷な体験をされています。『文明としての教育』(2007年)では、戦後間もない混乱の中で、日常に死が溢れていた状況も記されています。国家も政治も機能していない、まさに文明がゼロに戻った環境の中で、それでも存在していたのが「学校」だったと語られています。教育だけは最後に残ったものであり、それが文明の再出発点だったというのです。
つまり、山崎先生にとっての社交や美学とは、安全が保障された穏やかな状況下での遊びではなく、いつ文明が崩壊してもおかしくないという緊張感の中で、それでも必要とされる営みだったのだと思います。だからこそ、その発言や所作には、非常に強いリアリティと切実さが込められていたのではないでしょうか。
たまたま今日の会場はホテルニューオータニで、近くにはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「ムジナ(のっぺらぼう)」で知られるエリアがあります。顔があるように見えて、実はのっぺらぼうかもしれない。そんな感覚は、戦中を生きた世代として、先生の中にも確かにあったのではないかと思います。そののっぺらぼうのような不定形の存在に「顔」を与え、「姿勢」を与えていく。そうした営みこそが、山崎先生の思想や実践における本質ではなかったのかと思っています。
- 福嶋 亮大(立教大学文学部教授)
- 1981年生まれ。京都大学文学部中国文学科卒業。同大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。文学博士。専門は文芸批評。著書に『復興文化論―日本的創造の系譜』(サントリー学芸賞)、『ハロー、ユーラシア― 21世紀「中華」圏の政治思想』、『感染症としての文学と哲学』、『世界文学のアーキテクチャ』など多数。『中央公論』2015年9月号にて山崎正和と対談。また、山崎の代表作『柔らかい個人主義の誕生』の増補新版にて解説を担当。
- (※プロフィールは2025年8月28日時点)