鷲田清一:シンポジウム「山崎正和とは『何』だったのか?」
「謙虚な実存」──山崎正和の舞台装置

本シンポジウムの開会前、楽屋で三浦雅士さんがこう話されていました。「講演というのは、怒りで語るものだ。怒っているときこそ、一番伝わる」と。
まさにその言葉どおり、三浦さんの語りからは、山崎正和という人物が「過去の人」ではなく、「今」そして「未来」の存在であるという強い思いが伝わってきました。そして山崎さんの多岐にわたる仕事の本質を「社交」と「感情」という2つのキーワードで鮮やかに言い表されました。
山崎さんの活動は、劇作家、演出家、美学者、哲学者、教育者、評論家、批評家、さらには財団を通じてジャーナリズムとアカデミズムをつなぐ橋渡し役など、実に幅広いものでした。また若手研究者を支援し、大学運営にも尽力された。だからこそ「山崎正和とは何か?」という問い自体が、容易に答えられるものではありません。
世間では「理知的で、冷静、合理的な知性の人」という印象が強く語られますが、実際にご一緒させていただくと、豊かな感情や身体感覚への深い理解、そして「社交する人間」としての本質的なまなざしがあったことに気づかされます。
山崎さんの思考を貫くキーワードの1つに「逆説」があります。「人間がいかに逆説的な存在であるか」ということをさまざまな場面で語っておられました。理性が極まった先に、むしろ陶酔が生まれる。音楽で言えば、理知的にリズムを刻むことによって陶酔が導かれる。理性を突き詰めることで、むしろ感覚が立ち上がる。しかし大事なのは、陶酔の果てに崩壊や破綻に至るのではなく、そのギリギリの地点で「文化の装置」へと移行し、私たちの身体に定着させる。この営みこそが文化である、と。そのような「反転の構造」こそが、山崎さんの思想の根底にありました。
この視点は政治や演劇、科学といったあらゆる分野で語りの中に表れていたように思います。本日のパネリストも、それぞれ異なるかたちで、山崎正和という人物に深く関わってこられました。
牧原出さんは山崎さんのオーラルヒストリーを12回にわたり実施されました。最初は乗り気ではなかった山崎さんの心を次第に開かせ、貴重な証言を引き出し、編者の一人として『舞台をまわす、舞台がまわる──山崎正和オーラルヒストリー』(2017年)をまとめられました。
彦谷貴子さんはダニエル・ベルさん、ヴォルフ・レペニースさんらとの国際的な知的交流プロジェクト『コレスポンデンス』の編集に携わられました。特に思想的な国際人としての山崎さんのアメリカでの活動をよく知る存在です。
赤澤真理さんはサントリー文化財団が行う「『知』の試み研究会(山崎塾)」の塾生として、山崎さんから直接指導を受けた若手研究者のお一人です。本日は塾生の代表として来ていただきました。
福嶋亮大さんは、東日本大震災後の文芸再生を論じた著書『復興文化論──日本的創造の系譜』(2013年)で山崎さんの議論を参照し、サントリー学芸賞をご受賞。受賞後に、山崎さんと雑誌で対談されました。

今日のこの場には、研究者、演劇関係者、財団関係者など、さまざまな立場の方々が集まっています。皆がそれぞれに「それぞれの山崎正和」像を持っている。それが可能だったのは、山崎さんという存在がいかに普遍的で、多面的であったかの証でもあります。
山崎正和という人は、人生そのものを演じきった人ではないでしょうか。実際に「人は役を演じることで、役に縛られない自由を得る」と書いています。十全に演じきることで、逆におのれの実存を確保する。自分はその役そのものではないと知っているからこそ、学長であれ、中央教育審議会の会長であれ、請われれば引き受ける。そしてその役割を、全力で演じきる。そしてそのことを「謙虚な実存」と言い表していました。
亡くなられた後、ご自宅に伺う機会がありました。整えられた机、片付けられた食器など、本当に舞台装置のように整然としていました。しかし、唯一乱れていたのが、灰皿に残された数本の吸い殻でした。それを見て、「これもまた、山崎さんの最後の舞台装置だったのだな」という思いがいたしました。
- 鷲田 清一(大阪大学名誉教授)
- 1949年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。哲学・倫理学専攻。関西大学教授、大阪大学教授、大阪大学総長、京都市立芸術大学理事長・学長などを歴任。著書に『分散する理性』『モードの迷宮』(ともにサントリー学芸賞)、『顔の現象学』、『ちぐはぐな身体』、『メルロ=ポンティ』、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(読売文学賞)、『所有論』(和辻哲郎文化賞)など多数。山崎正和の後任として、2016年よりサントリー文化財団副理事長。
- (※プロフィールは2025年8月28日時点)